元ロッテ・渡辺俊介の決断

 実に彼らしい選択だと感じた。12月1日、元ロッテで今季は米独立リーグなどでプレーしていた渡辺俊介投手(39)が、古巣でもある社会人・新日鉄住金かずさマジックの選手兼任コーチに就任し、千葉県木更津市で会見が行われた。

 「都市対抗の優勝をまだ経験していないので、もう一度、野球人生の最後に成し遂げたいと思い、戻ってきました」。渡辺は会見の冒頭で、そう話した。

 13年オフにロッテを退団後、メジャーリーグの舞台を目指して米独立リーグ・ランカスターやベネズエラのウインターリーグでプレー。11月に帰国後はメジャーへの挑戦に区切りを付け「自分がワクワクできる道を模索したい」と話していた。

 NPB球団や海外リーグからの誘いもあった。考え抜いた1カ月間。その数ある選択肢から、なぜ社会人野球復帰を選んだのか-。

 「日本シリーズ、WBCと大きな舞台を経験し、アメリカの野球も南米の野球も経験した。でも振り返ってみると、一番ワクワクしていたのは都市対抗を目指していた時。そこで必要としてくれるなら、もう一度、そこに戻ってやってみたいという気持ちになった」

 渡辺には忘れられない試合がある。社会人・新日鉄君津(当時)2年目となる00年の都市対抗南関東2次予選第2代表決定戦の日本通運戦。三回途中5失点で無死満塁の走者を残して降板となった。

 「その後を先輩の恩田(寿之)さんが無失点に抑えて最後は勝つことができたんです。あの恩は一生忘れません」と、現在は引退して社業に就いている先輩への感謝を口にする。都市対抗本戦は渡辺の活躍で4強入りを果たし、それがシドニー五輪出場やプロ入りへつながっていく。まさに人生の分岐点だった。

 当時は廃部となる社会人チームが増えていた時代。新日鉄君津も例外ではなかった。

 「もう野球ができなくなるかもしれない。だから試合に出場しない選手も『何とか勝ってくれ』と一つになっていた。背負うものの重みが違う。明日のことを考えず戦う、その必死さが出るんです」

 夢や目標は変われど「アンダースローには無限の可能性があると思う」と、自身に足りないものを考え、新しいものを吸収してきたロッテ時代とスタンスは少しも変わらない。新しい球種を覚えることも、メジャーを目指すことも、そして都市対抗優勝を目指すことも、すべてが「挑戦」だ。

 新天地ではコーチとしての若手育成がメーン。同時に「必要とされた時に投げられる準備もします」と投手の調整も行う。都市対抗を「年に1度の大人の甲子園ですね」と表現して笑顔を見せた渡辺。新たな道への期待感がにじんでいた。(デイリースポーツ・中田康博)

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