【ターニングポイント】上本プロ入り切り開いた捕手へのコンバート

 人は長い人生の中で、幾度となく岐路に立つ。そんな時に何を思い、感じ、行動したのか。「ターニングポイント」では、虎戦士がプロに入るまでの“きっかけ”に迫る。第2回は上本博紀内野手(32)。度重なるケガに泣きながらも、それでも全力プレーを捨てないスタイル。阪神一筋11年目。ファンを愛し、愛された男の軌跡を追う。

 人さし指と、人さし指の“握手”だった。指先にそっと感じるぬくもり。目と目が合うと、自然とほほ笑み合う。現在32歳、プロ11年目。広陵・中井哲之監督なくして、上本のプロ入りはなかった。

 「博紀がプロの世界で勝負するなら、将来絶対にセカンド。でも今、お前がキャッチャーをやった経験は、必ず生きるから」

 2年生の冬。本当に、突然だった。中井監督から告げられたのは、内野手から捕手へのコンバート。捕手不足というチーム事情の中で、3年生を前に本格的に転向することとなった。上本自身は当時のことを「(厳しい広陵野球部で)生きていくのに精いっぱいで。やるしかなかった」と振り返る。

 最後の夏には、正二塁手として出場しているだけに、捕手・上本として過ごした時間はほんのわずか。だが、多くのことを学べたという。

 「キャッチャーってすごく大変なんだなって感じましたね。練習量も多いし、試合中も気の休まる時がないというか」

 初めて見る景色が、目の前には広がっていた。顔を上げれば、内外野の仲間たち。そして視線の先には、バッテリーを組む投手がいた。この配置転換について中井監督は「視野も広がるし、性格も変わると思った。博紀の二塁としての役割にも、プラスになると思いましたよ」と説明。勝利への一手であり、将来を見据える中での分岐点にもなった。

 捕手の大変さを痛感し、定位置である二塁へ戻った上本。今度は後ろからバッテリーを見つめる位置に就いた。「大きな変化はなかった」と笑うが、投手が苦しんでいれば、足が自然とマウンドへ向かうようになった。

 上本は天才だった。「僕の教え子の中で一番打ったバッターですよ」。名門・広陵の門をくぐると、走攻守三拍子そろった起爆剤として1年から試合に出場。「上本を使うと3年生が慌てるだろうなと思ったら、抜いちゃってね」と笑う。類いまれな才能を発揮し、1年夏から4大会連続で甲子園に出場。2年春の選抜大会では全国制覇に導いた。

 甲子園通算打率は・500。聖地の申し子となった。だが、そこには毎日のように積み重ねた努力が存在する。全体練習が終わり、日も落ちかけた夕暮れ。一人黙々とバットを振り込んだ。それも裸足(はだし)で。固定観念にとらわれず、自らの感性を大切にする。練習から、努力と工夫を惜しまなかった。

 そして迎えた別れの時。中井監督はこう、言葉を送ったという。「大学で100本打ってこい。それができれば、その小さな体でも勝負できるぞ」。早大へ進学。1年春からリーグ戦に出場し、終わってみれば、約束よりも9本多い109安打を放った。また「将来は絶対に二塁手」という監督の言葉通り、正二塁手として日本代表に選出されるなど輝いた。

 進もうとする道には、いつも指針となる中井監督の言葉があった。「何かあると、つい先生に連絡してしまう。今でも声を聞くだけでビクッてするんですけど」と上本。「親みたいな感じですよね」。父と慕う恩師は、グラウンドにあるスコアボードを指さした。遠い関西の地で頑張る息子へ。言葉を紡いだ。

 「この景色を、上本に見せてもらえませんか。2-12。惨敗でしょう(笑)。今年の春、選抜で東邦に負けた時のスコアです。後輩たちもみんな毎日これを目に焼き付けて、歯を食いしばって頑張ってますから」

 今もなお、顔を突き合わせば、広陵独特の“握手”をする。人さし指と、人さし指が交わる再会の喜び。いつだって味方、いつだって応援している。大阪へとつながる、広島の空から聞こえてきそうだ。大きな笑い声と一緒に。「頑張れ、博紀。頑張れ」-と。

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