【昭和の虎模様】長嶋よりうまい!三宅秀史、吉田義男との三遊間で圧倒的な存在感

 走・攻・守に加えてルックスも良し。圧倒的な存在感があった三宅秀史
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 今年、球団創設85周年を迎えた阪神タイガース。長い歴史の中では多くの名選手、名勝負が生まれ、数々の“事件”もあった。昭和の時代にデイリースポーツでトラ番を務めた平井隆司元編集局長が、栄光と挫折の歴史を秘話をちりばめ連載で振り返る。

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 ネット社会が加速をつけて、もはや老人がおろおろするしかない事態になっていた頃になる。2005年6月。「猛虎達の記録」というサイトで、歴代選手の人気投票が行われた。

 13万3578票の投票があり、1位は6万5428票を獲得した三宅秀史、2位・村山実、3位・遠井吾郎、4位・藤村富美男、5位・江夏豊。投票は2009年にも行われ三宅が2位・村山に大差をつけて連覇した。(記録は「哀愁のサード三宅秀史」=神戸新聞出版センター=から)

 1953年の1月。18歳の三宅秀史は岡山から国鉄に乗り、大阪に着いた。戦後まだ8年。敗戦の傷跡はあちこちに見える。

 大阪駅前、タイガースの事務所があった阪神ビルで三宅は契約金30万円をもらった。(当時の大卒事務職初任給=約9000円)

 三宅は両親と子供が6人の8人家族。生まれた地は、今は倉敷市と名を変えている。三宅は一人で大阪に来た。契約金は現金で「たしか風呂敷に分厚い札束が包まれていた」という記憶がある。「(大阪は)物騒な都会だから気をつけなさいよ」。女子職員が優しく三宅を見送った。

 阪神の顔。主砲。虎の人気を一人で背負うミスタータイガースの藤村富美男にそろそろ衰えがみられ、その後釜に。そんな期待を三宅秀史は裏切らない。スマートな守備のパフォーマンス、走力、今でいう広島・鈴木誠也のようなスイング。そして美顔。遊撃手の吉田義男と三宅との三遊間コンビは、圧倒的な存在感で魅せた。

 「うちの長嶋茂雄と三宅秀史と?どっちがうまい?そんなの三宅に決まってるじゃないか」

 巨人の監督水原茂は即答し、川上哲治も「うちの長嶋と広岡の三遊間と阪神の二人と比べたら?そりゃあ、阪神のコンビだよ」と平然と言った。

 三宅は走攻守で輝き、順風満帆に活躍したが…。1962年9月、遠征先の川崎球場の試合前のこと。外野でのキャッチボール中、「危ないっ」という声に振り向き、顔面にボールを受けた。以来、視力を落とし、選手寿命を縮めた。

 後年、三宅は肝臓がんを患った。医師から「余命わずか」と告げられ、当時は耳に新しい生体肝移植しか命を維持できないと。ドナーがそう見つかるわけもない。その時に孫が「おじいちゃん、ぼくの肝臓あげるよ」と言い、爺ちゃんの三宅は生き延びた今、86歳。余生を静かに送っている。=敬称略=

 ◆三宅 秀史(みやけ・ひでし=1966~67年の登録名は三宅伸和)34年4月5日生まれ、86歳。岡山県出身。現役時代は右投げ右打ちの内野手。南海高から53年阪神入団。ベストナイン1回(57年)。通算成績は1219試合983安打100本塁打376打点、打率・252。67年の現役引退後は阪神でコーチ、2軍監督を務めた。

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