【阪神新人紹介】ドラフト8位・石井大智【2】

 10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた9選手の連載をお届けする。第8回はドラフト8位・石井大智(23)=四国ILp高知。プロへの扉を開くまでの道のりを振り返る。

  ◇  ◇

 石井は1997年7月29日、秋田県秋田市で生を受けた。消費税5%が始まり、サッカー日本代表が初めてW杯出場権を獲得した記念イヤー。藤田菜七子や大坂なおみ、宇野昌磨らも同学年にあたる。「大智(だいち)」の名前には、父・智之さんの思いがあった。

 「私の一字に大をつけて、大きな人間に育てよという意味で、この名前にしたんです」

 高校3年生の秋、再びプロ野球選手を志した石井は、高専での4、5年生を体力作りの期間と決めた。独学でトレーニングを積み、62キロだった体重は卒業時に77キロまで増量。NPB入りの最短ルートを考え、進路は独立リーグに絞った。四国ILp・高知からドラフト指名されたが、ここでも迷いが生まれた。

 父子家庭に育ち、祖母のクニ子さんが母親代わりだった。「直接、行くなと言われたわけじゃないんですよ。でも、嫌なんだろうなって。それは分かりましたね」。野球を諦めていた時、入部を誘ってくれた友人は、お前の人生だと背中を押した。もう一人、父も「行ってこい」と言った。智之さんが述懐する。

 「野球でメシを食っていくと言われた時はビックリで。でも、たとえ失敗しても、子供のやりたいことに反対はしたくなかった。それに、私がやりたくてもできなかったので」

 智之さんも秋田で育ったが、実は阪神ファンだった。85年、バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発をテレビで見てからだ。病弱だったためにプレーは断念。知らず知らず、息子に夢を託していた。「死んだ父も秋田商業のブラスバンド部で、甲子園に行っています。私は大智のおかげですが、親子3代で甲子園に行ける。夢のようです」。支配下選手指名の最後、全体74番目に名前が呼ばれた。縁があった。

 直線で約900キロ。一大決心で向かった高知では「人生一番の挫折」を経験した。四国ILp選抜チームに選ばれ、みやざきフェニックス・リーグに参加した。だが、まだ成長過程の2軍選手に、ことごとく打ち込まれる日々。無力さは成長の糧になった。同チームの監督を務めた河原純一氏、入団時の監督だった駒田徳広氏、現監督で阪神OBの吉田豊彦氏。NPBで活躍した師の指導にも恵まれた。

 2度、野球を辞めそうになった岐路で、背中を押してくれた友人もいる。指名直後に連絡を取ると、涙ながらの祝福を受けた。「人生、何回繰り返してもこんなに出会えるかなって。支えてもらった全ての人たちに、僕の人生を懸けて恩返しをしたいです」。家族に友、秋田や第二の故郷になった高知。奇跡が紡ぐ軌跡は続いていく。

 ◆石井 大智(いしい・だいち)1997年7月29日生まれ、23歳。秋田県秋田市出身。175センチ、81キロ。右投げ右打ち。投手。旭川小3年から「旭川スポーツ少年団」で軟式野球を始める。秋田東中ではロッテ・成田翔と同期。秋田高専卒業、四国ILp高知に入団。50メートル6秒。遠投113メートル。

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