鳥谷よ、未練残さずやり切れ!!阪神OB・小山正明氏が惜別エール

 CS進出を目指す矢野阪神に8月末、激震が走った。去就が注目されていた鳥谷敬内野手(38)に29日、阪神球団が事実上の戦力外通告を行い、鳥谷も受け入れたことで今季限りでタテジマのユニホームに別れを告げることが決まった。これに関し、1963年(昭和38年)オフに東京オリオンズ(当時は大毎)にトレードとなったレジェンドOB・小山正明氏は「個人的には阪神で現役を終えてほしい」と希望を述べつつ「最後は鳥谷本人の意志。自分のいい道を選びなさい」と惜別エールを送った。

  ◇  ◇

 CS争いそっちのけの激震だ。長期ロードから甲子園に帰還、5位・中日との22回戦が雨天中止となった8月29日、38歳のベテラン・鳥谷が球団首脳と会談を持ち、その場で「今季でユニホームを脱いでくれないか」と事実上の戦力外通告をされた。25日のヤクルト20回戦(神宮)終了後、意味深な言葉を残してから鳥谷を取り巻く環境が一変、これに球団が即動き、前述の“通告”に至った。まだ今季の残り試合が20試合以上あり、3位・広島とのCS進出争いの真っ只中にある中での一件だけに、内外から様々な声が充満した。約20年前に阪神担当をしていた当方からすれば「また始まった…」という思いが強く、さすがに小山氏に聞く内容も、今回ばかりはこれにせざるを得なかった。2勝2敗2雨天中止だった先週の結果は横に置く。

 -先週の試合どうこうより、阪神ファンの注目は何と言っても鳥谷の今季限りの退団、でした。とにかくビックリしましたね。

 「というより、僕は呆れ返ったわ。何で今、なの?って。彼は16年にわたってタイガースの中心選手として貢献してきた選手やないか。確かに、今年の成績からすれば“その時”を覚悟せざるを得ない状況にあったのは誰が見てもわかる。しかし、球団が話をするタイミングがあの時か、と言えば僕はそうじゃない、と思ったよ」

 -と言うと?

 「全日程が終わった試合後でもええんや。鳥谷本人だってある程度腹を括っていたはず。そこは阿吽の呼吸でやってほしかった。しかし、球団の首脳陣は何を考えてるんやろな。何か理由があるのかもしれんけど、僕にはよくわからんね」

 村山実(故人)と並び、1960年代のエースとして活躍した小山氏は63年(昭和38年)オフに東京オリオンズ(当時は大毎、ロッテの前身)にトレードとなる。山内一弘との“世紀のトレード”でタテジマに別れを告げ、最後は大洋(現DeNA)で現役を終えた。その最後の大洋時代を「全く余分なシーズンだった」と氏は振り返る。

 -小山さんの場合は自分の意志でないトレードで阪神を出て、現役最後がその大洋でしたが、なぜ「余分だった」のでしょうか?

 「ロッテでやりきった感があったからね。そこで終わるつもりが、青さん(青田昇氏=当時大洋監督で、元阪神ヘッドコーチ)に『来てくれ』と言われて…。引き際、ということを考えると、やはり余分なシーズンやったね」

 -聞くところによると、鳥谷は現役続行を望んでいる感じです。彼に言葉を贈るとしたら…。

 「個人的には阪神で現役を終えてほしい。もし他球団に移ったとしても、往年のようにレギュラーでやれる保証はないし、やったとしてあと何年できる?阪神でスキッと終われば、外で勉強したのち、阪神の指導者として必ず復帰できる。ただ、これは僕らがどうこう言う話やない。本人の意志。未練を残すことなく、いい道を選んでほしいね」

 2004年に阪神に入団、翌05年に岡田彰布監督の下でリーグ優勝に貢献した。以来、足かけ16年にわたって“虎のリーダー”として背中で後輩たちをけん引してきた。野球に対するストイックなまでの真摯な姿勢には、外から見ていて何度も感心させられたものだ。小山氏同様、今回の一連の流れには大いに疑問があるが、これを言ってもせんないこと。3日からは2位・DeNA、3位・広島との6連戦が敵地である。去り行く鳥谷をCSに連れていくことを、ナインの使命としてほしい。(デイリースポーツ・中村正直=1997~99年阪神担当キャップ、前編集長、現販売局長)

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